結局人生はくじ運なんだよだから誰も悪くない
産まれた環境、育った環境、周りにいた人、時代、そういったものでそいつの人生は決まる。
どんなにその人次第と言われようと、環境は特に大事で、産まれてお金がない家なら教育は義務教育で終わるケースもある、それなら中卒で働いてまた貧困を生むだろう。
その人次第はやはり環境が違えば、どうあがいても価値観が違うだけで大きな隔たりとなるし、そんなに人は変わらないものだし、育った場の感受性から生まれる選択にも影響が大いにあって、だからどうあがいてもその人はその人になる。だからその人次第ってのはおかしいって思ったりする。
その人が育つ環境を変えることは少なからず産まれてから自立できるまでは選択権は与えられる機会はほぼ少ないだろう。だからあがいて変わろうとしてもその人次第の選択はそこまで差はなく埋められない。
こうして自立した自分がそのままの思考や価値観で違う環境で産まれて育つなら話は別だが、その環境しか知らない子供たちはその環境から得られるものでしか育たず、きっとそれは自立して生きても影響を与えるものになるのだろう。どうあがいても変わることはないし、産まれて育つ環境でそいつの人生が決まる。
けどそういったものなんだろう。
人生とか人格や価値観ってそういったくじ運で決まるんだから、だから結局そいつを憎んだり恨んだり妬んだり、嫌いになろうが意味はなくて、本当の敵は国や社会なんだろう。
社会を敵として見てる自分の価値観やこういった考え方もきっと環境で得たもので、自分次第で手に入れられた訳ではなく、そこにあっただけで、たまたまな気もする。
どんなに働いていようと、続けていようと、貧富の差は従業員と経営者には埋められないし、どんなに頑張ってもそこに行くにはまずは働かないとたどり着けもしない、楽な道はどこを探しても見つかることはない。生存することがいかに年々ハードルが上がってきてることか。
できることならみんな幸せに平和であってほしいが、なんかもうみんな無理だからいつでも死んでも問題ないってウェルカムになった方が幸せになってきそうな、そんな最底辺からみる幸せが訪れそうな時代な気がする。
それが自分の今の環境での考え方。
バッドマン 3部作
クリストファーノーランが手がけた
バッドマンの3部作の映画を先週一気見しました。
・バッドマンビギンズ
・バッドマンライジング
自分は海外のヒーロー物はあまり興味がなくて、スパイダーマンを知ってたくらい。
マーベルという言葉もまだ新鮮。
ただ自分が中学生のころダークナイトを父親と一緒に映画館で観たのは鮮明に覚えてて、バッドマンシリーズの映画とは思えないほど、ジョーカー怖ぇ!ってなってた。笑
それが記憶にあったからいざ一から順に見てみると、バッドマンに惚れる。
まず、大富豪の一人が主人公だからその時点でうらやましい。しかも自分の住むゴッサムシティのために自分の会社でバッドマンのあらゆる装備まで作って…
厨二の人にとっては、妄想の中で大富豪という設定は少ないかもしれないけど、これ見たらその設定ありかもしれなくなる。
3部作観て、色強いのはダークナイトだった。
中学生の頃の自分も記憶に残すくらいなので、今の自分も印象強い。
ジョーカーがやはり敵として魅力的だった。
バッドマンみたいなヒーローがいないとジョーカーもジョーカーとしては成り立たない素晴らしい敵だった。
ダークナイトはまた観たいなと…
染まり始めていると思えばもう真っ黒
去年の年末の仕事の内容も鮮明に覚えているのに、一瞬にして春の暖かさがきて体調を崩しながらも、働いてたら風邪ひいた自分です。
本当に時間が早く経ってしまう
職場までの運転は約25分かかるのだけど、入社のころはあと何回この道を往復するのだろうかと億劫になりながらも出勤していた。
それがもう、気を許せば運転して来たのかと記憶を回想してもあまり覚えてないぐらい慣れてしまった。
僕の80%の時間は仕事なのである。
長いな、もう帰りたいとか思いながら残業も休日出勤もこなしてきた。
だが評価や昇給なんて話はこない。
それはお金を対価にして労働することで雇われる労働者は頑張って働くことは当たり前にされてるのだから。
だからどこかで会社にプラスになることを与えないとそう簡単には出世は難しいかもしれない。
ただ唯一自分にとっていいことなのは、働くことが好きなことでよかった。
学校もまともに行かなくて、人も極力避けて通ってきた人生でも、働くことの方がどれよりも長くなるのだから。
そこが自分にあってよかったところ。
まあもう少し休みが欲しいけどね。
なんだかんだ言ってもこの日常に愛はある
彼女と別れて4年
夜に働き出して3年
何者にもまだなれてない自分
何者でもなれてないから何者にでもなれる自分
全て自分次第で変わる
絶望も希望も特になく
ただ思うことは常にあって
けど昔の弱い自分よりかは強くなった気もする
そんなこと
それぐらいのことでしかないけど
それでもやっててよかったこともあるし
この今もそれなりに好きでもある
昔の自分より強くなったというより
昔の自分より自分を許せるようになった
もしくはそこまで大事にしなくなった
なるようにしかならないことが多いけど
社会に出てから考えることがいかに重要かが気づいた分、考えたように生きれなくても考えている日々がなにかと大切なんだと思った
正解も間違いもないし
正義や悪とか言いきれるようなこともない
その曖昧さと多少の優しさと思いやり
厳しい目線と絡まる人の思惑
めんどくさいし、言葉にしてもはっきりしないし途方もない社会
その社会の中の自分の守り方は少しは身についたような
戦い方は不慣れではある
やっぱり怖いし勇気いるし
問題なんて起こさない方がいいし
出来る限り自分に関係ないことは
問題と認識したくはない
けどやっぱり感謝はするし
迷惑はかけたくない気もある
だから頑張るけどうまくはいかない
簡単でもないし
捉え方や認識の仕方でものすごく変わるけど
上手に生きたいよな
もうそんなに苦労はしたくないし
嫌われるの怖いし
臆病だし逃げ腰になるし
そんな気持ちが前提にはある
けどそんな気持ちだけで逃れられないから
考えるし、喚くだけならそれまでだし
だから自分のことちゃんと分かっておかないと流される
勝とうと思わなくていいとにかく負けるな
それだ
後悔しないように生きても後悔していいように生きれたら
後悔しないように生きたいと思った14歳の頃から今は23歳。
後悔はしてる、後悔がある。
ないことはない。
けどそれでいい気がしてる。
後悔しないようにように生きようと思ったことがなにより後悔しても気が楽になる。
後悔しないように考えて生きて、たくさんの選択を選んできた。
昔の自分は後悔しないように生きてるからこそ後悔したら自分をとにかく責めた。
今は後悔しないように生きているけど、後悔しない人生は無理だって少なからず落とし所は見つけた気もする。
日本の社会はこれから破滅していく気もして、その荒波に若者が嫌々ながら強制的に参加させられて、
多分、老人が増え続けても家族や医師や介護師ぐらいしか助けてくれない気がして
若者も誰も助けれないし自分を助かる方へ持っていくのに必死だし
そんな社会がきても、やっぱり自分のことしか見ないし
多分それでいい気がしてる
きっと平成が終わっても日常は変わらないし
思ってることや性格や社会の動きも
変わらない
負担が増えるだけで
労働者は採取され続ける
月曜の朝からこんなこと考えてる自分は普通
普通に仕事行きますよ。
他人に他人に他人だらけだな。
本当のことは分からない
自分のことも日に日に分からない
あっ、最近調子良いと思ってもそのままどんな自分になるか、自分が本当に思っていること、自分にまつわる全てのことを自分はどこまでも分かっていてまた変わるから分かろうとして。
そんな難しい自分とも付き合いながら、
まったくもって血が同じでもなく、共通点は一つくらい、肌の色や話し方、人間としてまったくもって違う他人のことも分からない
分かるはずはない
そう、ない
ないと言い切りたいけど言い切れないぐらいのわかりづらさ
例えば他人が泣いてる
自分の目には泣いてる姿が映るだけで
何に悲しくて泣いてるのか、もしくは嬉し泣きなのか、嘘泣きなのか
そいつは滅多に泣かない奴なのか
もし悲しくて泣いていても、どれぐらい悲しいのかは涙が出るくらいとしか言いようがないし、そいつにとってはものすごく悲しくても、自分に当てはめたらそんなことでもなく。
話しても話しても一向に分からない
むしろもっと話したい
むしろもっと話して色々なことをして、共有して関心や興味を持ちたい
けど話しても話しても分からないことが多くなる
それでも好きとか、嫌いとかの感情は湧いてくる
そいつのことを100%理解してから出てこないといけないような感情が真っ先に出てくる
そいつの表情、顔、雰囲気、口調、一瞬で判断できるくらいに。
判断力ありすぎ。
けど嫌いとか負の感情で認識してしまえば終われるし、好きであっても終わることだってよくある。
別に特別なことはない
どっちか一人でも「やーめた」と思えば関係は一瞬のように終わる
それまでそいつの分からないことが頭の3%を埋め尽くしていても、そいつのことで悩んでいても終わってしまう
こっちから行けばいいのかもしれないが、そこまでの関係だったのかと折り合いをつけたりもしたいところ。
そいつが何を考えていて何を思っていて、日本語の表現力は他の言語より素晴らしく豊富だけど、それをものすごく駆使して表現されても分からないものであったり、間違いとか、いいとか、分からない。
何をわかろうとしているのかさえ分からない
ただ、こいつと楽しく話したいだけなのか、こっちが一方的に愚痴を聞いてもらう機械的に扱おうとか、一緒にいたいのか。
こんな時間が長く続けばいいとか思っても、分からないことだらけだぞ、って思ったり。
だから面倒くさい。
面倒くさいのになぜか楽しい時間にも変わる
面倒くさいのになぜかそいつともっと話していたくなるし、一緒にいたいとも思ってしまう。
この思考とこの感情。
どっちを取るにしろ、本物は感情だろ。
だからやっぱりそいつが好きなんだ。
楽しいんだ。
一人は嫌だと言っても一人だから聞こえてない
例えば外食をする
映画館に行く
インドア派の奴でも外に出ることはないことはない。
インドア派でも自分みたいに友達がいないとどうなるか。
もちろん一人で満喫するだけのことである。
その自己満足のような満喫はまずあり得ない。
どんなにお金に余裕があっても
いい服を着ても
一人では意味はないに等しい
外に出たら
周りは家族や友人や恋人という隣に人がいるのだ。
自分はどうだ。
一人だ。
一人なんだって思われることは別にどうってことはない。
どうってことはないのだけど、それをそう思ってるような人はみんな隣に人がいて、会話したり楽しそうではないか。
そんな周りとの差と無数にあるその思い込みを一人で考え悩み受け止める。
あの苦しさはどうも慣れない。
だから一人は嫌だと思う時もある。
電車の中、車の運転、ジャンクフードのお店、コンビニ、それぐらいの選択肢しかない。
結構きつい。
だからといって出かけたい気持ちにはならない。別にそれでいいし、問題はない。
場に染まる、居場所を見つける。
そういったものは一人には難易度高い。
最終のボス戦ぐらいの感覚。
イヤホンして周りの音をシャットアウト。
スマホ見て目のやり場を困らないようにする。
早歩きと、変に思われないように周りの人の歩く速度にも注意。
隅っこ、端。
とりあえず困ったら喫煙所。
ほんとにどうしてもショッピングモールとか外食とかに行く場合に気をつけることである。
空気のように、目立たないように、溶け込め
だからといって友達作りたいとかは思わないからそれなりに悩みそれなりになんとかなる。
伊達に一人で今までやってきたわけではない。
ただ学校はほんとに勘弁して。
会社は問題ない。
生きづらさはあっても生きれないわけではない。
生きれる場所を見つけれたから自分はなんとかなってる。
社会性、人間性、適応能力。
問題あっても受け入れてくれなくても、多分大丈夫。
自分みたいに一人で大丈夫になる奴もいる。
案外寂しさはないしあってもそれが普通になるから大丈夫。
ものすごい慰めれてない。
何を言ってんだか。