ひさしぶりって何度も言うブログ
はやいもので、2019年11月ですね
25歳になっちゃってますよ。。
もう20代も後半ではやいなぁ
まだいろーんなことが昨日のように思い出すよ
保育園のころは砂場とブランコでよく遊んだなあ。あの頃の日々なんて記憶は少ないけど。
おじいちゃんが死んだのはその頃で、保育園の餅つき大会にはおじいちゃんが来て餅を打ってたのを覚えてる。
死ぬ前に俺にゲームボーイとポケモンの金を買ってくれて今でも俺の部屋の押し入れには残ってる。
おじいちゃんが亡くなってから死というものに漠然と子供ながら考え出すようになった。いろんな命を大事にするようにもなった。
小学生から野球少年になった。初めて地元の少年野球チームの練習に参加した時の緊張と勇気は今でも。初試合でキャッチャーやって楽しくて、足が遅かったからランニングホームランはダメだったけど、3ベースヒット打ったなぁ。
小学生のころ、家に帰っても誰もいなかったから学童保育に行ってたんだ。いろんな地区の友達できて楽しかったな。
いじめもあった。いじめられたし、俺もクラスメイトを差別をした。そんなどんよりした中で学校通ってたけど、弟が産まれたんだ。小学5年の時に。昼休みに先生に呼ばれて父親に連れられて病院に行ってそしたらもう産まれてて。その日からいじめはなくなったのを覚えてる。
中学生になってからはほんとゲームと野球ばかりで、けど途中から頑張れなくなってきて野球も学校もサボり出すようになって。修学旅行に行って帰ってきた時から中学校へは行かなくなった。不登校になった。
最初は燃え尽き症候群って言われて、不登校になった1.2ヶ月を寝てたことしか覚えがないくらいぶっ倒れてた。そっから少しずつ少しずつ動けるようになって、15歳の誕生日に初心者セットのギターを買ってもらった。俺はそれが生きる理由になった。
ただ1度ドロップアウトした心はなかなか元気にはなれなくて、どんどん悪くなって薬と病名が増えて、先のことは進路もあるから考えないといけないけど不安しかなくて。
そんな時に音楽に何度も何度も救ってもらったんだ。
高校生になって2年目に違う高校に変えて、あんなに弱かった自分が、高校生しながらすぐコンビニで働きだして、どうやってたんだろって思うぐらいすごいな自分。
3年生の頃にはコンビニはやめて農園の仕事をちょこっとしてた。
不登校になって友達はいなくなって、けど彼女はできた。音楽をやりたい。友達をつくりたい。そんなことを夢見て彼女と別れてまで大学に行くことにした。
それが一番の後悔になった。大学では全然思うようにやれてなくて、ただ後悔した。
そんな学生生活で親友と呼べる人に出会った。後悔してたけど、俺はそれでもよかったんだって思った。
大学を辞めて実家に帰ってきて、また初めからやり直しでただ働かなきゃっては思ったけど、もうこれ以上何かをするのは嫌になって死にてぇってずっと思ってた。
だけど死ぬのは怖いし俺にはそんな度胸はいつまで経ってもなくて、だから実家の近くのリサイクルショップで働きはじめた。
色んな仕事を覚えて、できることが増えて、アルバイトから正社員の話がきて動いてる最中に、もーどーでもいいなって思っちゃって辞めた。
散々最低な野郎だって思った。もう死んでやろうって思った。やっぱり始めなきゃよかったって思った。けど職場の人達と働いてたのは楽しかった。働くのはいいなって思った。クソみたいな自分に生産性ができる価値があるみたいで安心できた。
そう思って、違う会社に行ったけどあまりにも過酷な労働だったからやめた。
辞めぐせがついてやばいなって思った。だから次こそしっかりって思って今そこで働いてる。
軽く振り返ってみた。
そろそろ結婚するから。
それだけの理由でなんとなく。