jacksyomental’s blog

自分のことばかり考えてる奴の自分のためのブログ

ダイエットではないが体重がとても減った生活の話

私は現在23歳、男である

昔から太る体質のせいでみんなとおんなじ量を食べ、動いていた子供の頃でもふくよかな体型によくなっていった。

標準よりも少し太ってる子供だった。

 

中学生の頃が一番太っていたのだけど、成長期だから気にしないで動いて食べていたのが原因だった。思春期になるとやはり周りの目は気になりだしてこの体型のままではやばいかもと思い始めた。

だか今まで痩せようと思って痩せた試しがなかった。断食しようたって毎日3食を食べないと死ぬだろうとか、色々な常識や当たり前があってじゃあ実際ダイエットってどうすりゃいいのと分からないまま中学生は過ぎた。

 

高校生の頃に劇的に変化することになる。

ある程度の成長が止まり、身体的にもうそんなに成長することはなく大人な体型に落ち着いた頃、その当時からアルバイトをしていた。

自分で言うのもアレだが仕事に対しては常に真面目な人間なので、コンビニで働いていたが高校生ながら時給は高校生の時給から普通のアルバイトの時給にすぐに変えてもらえたぐらい働きまくった。

その当時は食事もコンビニ食(おにぎり1,2個)かパンだった。

それもあって今までの人生の中で一番体重は減っていた。170cmに55kgだった。

因みに中学生時代は170cmに75kgぐらいだった。

 

それから大学に行ってから一人暮らしをさせてもらってたが、自炊はしていても自分が好きな食べ物しか作らなかったのと、体を動かすよりアパートの一室に籠ってギターばかり弾いていたおかげで170cmに70kgだった。

 

それから実家に戻り働き出すのだが、それからがすごかった。

常に食欲よりも働くかタバコか睡眠。

本当に本当に本当にお腹が減ったらなんか食べるかとコンビニや飲食店に行ったぐらい。

今でもそのリズムは続いてて、誰かと一緒に食べる時は食べるのだけど、自分一人が常に多いので全くもって食べない。

大学から実家に戻ってからのこの3年ぐらいの生活は常にこんな感じだった。

体は疲れやすく、寝れていない日々が続けばやっとぐっすり眠れたり、気分的にもあんまりいいとは言えない状態が多かった。

 

食はコンビニのおにぎりかパンかラーメン屋、ファミレスとか好きな食べ物しか今も食わない。

飲み物はタバコに合うものやレッドブルばかりだ。

お酒に関してはなにかいいことがあった時ぐらいに飲むぐらいで、月に数回。

後は仕事、仕事、寝る、仕事、食ぐらい。

そして常にタバコであった。

 

去年の冬に2ヶ月間禁煙したのだけど、その時にタバコも吸わないなら飲み物は水だけにしようと思い、2ヶ月間は禁煙とほぼすべての飲み物に水かお茶だった。

禁煙をしていたのか、飲み物を水に変えたからなのか原因はわからないがみるみるうちに体重は減っていった。

水に変えてから、トイレの回数は増えたけど体の調子は悪いことはなく、睡眠もしっかりと取れていた。

飲み物を水に変えるといいとよく話は聞いていたのだけど、本当だった。

 

けど個人的な事ではあるが、仕事ばかりしていたら体重は太らないことは分かった。

正直なところ残業や休日出勤などの日々で決してホワイト企業ではなかったのでプライベートな時間もそこまで確保するのも難しく、食はどんどん疎かになるので、体重が減った一番の理由は働くことばかりの日々にいたからだと思う。

以上。

 

頑張ることは当たり前でもどこで頑張るかが重要だった話

7月20日に今の仕事の最後の出勤日でした。

転職先は面接が過去最高に悪かったので期待もしていない中、採用通知ご来て嬉しさとびっくりでしたが、それからが長かった。

約1ヶ月半辞めれるまでかかりました。

辞めた理由としては言ったらキリはないですが、最大の理由としては正社員になりたい気持ちでした。

次の職場はもちろん正社員です。

今の職場は正社員になるにあたり、とりあえず3年働き、正社員への資格がもらえて、それから課長以上の上司の方のたくさんの推薦と筆記試験と社長面接があり年一回の受けるチャンスにそれら全てに合格してやっとなれるものです。実際3年働けばなれるわけでもなく、能力や性格、年齢や思考などが会社が求める人材であるのが前提でした。

そういったことがあるとは知らず、正社員の道へ下克上の道で契約社員として働き始めましたが、蓋を開ければ日々の残業が数時間以上と休日出勤、安い給料と周りはもう後がない年齢の方の仕事能力、言えばキリがありません。

ただそんな環境の中でも色々な方と出会い、一緒に仕事をして、時には元気や勇気をもらい強くなってく自分は実感しました。

ですが23歳の自分にとってのほぼ20代をこの場所で努力して働くより正社員として雇用されて働き成長する方が人生にとっていい選択だと常に考えていました。

仕事もしんどいという気持ちは大きいですが、自分で言うのもおかしいですが出来る側でしたので期待の眼差しは常に向けられ、次期リーダー的存在でした。

辞めると伝えてから約1ヶ月間はずっと説得される日々でした。一人に説得されて自分の考えを述べてまた次の人が説得しにくるのはなかなか心は疲れていました。

周りも自分がいなくなったらこの部署回らないとか上から聞きたくないほど言われましたが、自分の人生を大事にする気持ちで進めていきました。

ひとまわりふた回りも違う方達と仕事をしていたので、なかなか人をうまく動かすのは難しかったとは思います。

仕事内容は嫌いでもなくむしろ機械を操作する仕事で得意でした。それ以外にも色々と出来る幅は多く、出来るからこそ融通が利きやりやすい職場ではありました。

だから辞めた今もそこは大きく捉えていて、もしあのまま続けていたら正社員になれたのだろうなという自信はありました。

次の職場ではまた一から始まり人間関係や仕事内容など自分に合ったものはそうそうないのかもしれませんが、今までもそういった中でやってきた自信を頼りに頑張ります。

頑張る道しか残ってはいませんが、どこで頑張るかが重要だったと思います。

自分にとってはいい経験になったとプラス思考でポジティブに辞めれたのもいい形で終わることができたかな。

辞めた帰りは少しじんわりした心がありました。

ここで出会えた一人一人の縁は大切に大事にしたいと思います。夢の中で出てくる気がします。

 

 

重力ピエロ

重力ピエロを観ました

高画質で!!!

 

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まず映画を最初から最後まで一通り区切らず観れたのがとても嬉しい、本当に。

休みなかったもん…

 

2009年の映画で約10年前。

原作の小説は2003年。

早い。時が。

題材はサスペンスにはなるのだけど、そんな感じに観ることはなかった。

犯人は誰だとか、謎解きの観点から観ることは個人的にはなかった。

兄弟と家族とその過去を振り返りながら話は進んでいくのだけど、なんだろう、一人一人の台詞が特によかった。

特に小日向文世さんが演じた父親が僕はとっても良くて、亭主関白のような父親でもなく、役場で働いてたその当時としてはよくいるサラリーマン。さらっと優しく話す台詞や、決して怒らないし、弱いところを見せないような、いつでも家族の前では明るく前向きな姿勢と家族のことを一番に想って引っ越しもしたりする決断力がある。家族のことを大好きだよと言わないタイプだけど、言って欲しいと言われたらさらっと言えて家族が大事だと感じる父親だった。

小説を読んだらもっと美しい言葉が詰まっているんだろうなと観終わって思った。

後、二段ベットで兄が上のベットで、下は弟のベットで寝る前のシーンがあって、寝る前の子供たちのちょっと悩んでることを話して、じゃれ合うシーンは映画としてはあまりないシーンだとは思っているのだけど、こういう日常的なシーンを撮っていたのが個人的によかったと思うひとつ。

 

 

次は何観ようかな〜

いつ観れるかな〜(フラグ)

 

人並みの幸せが欲しくて

朝起きたら、職場へ向かう慌ただしい車の音や小鳥のさえずり、小学生たちの朝から元気な声、テレビをつければ素早くまとめたニュースと、おはようございますから始まるオープニング。

お昼には昼寝をする場所へ向かう猫、近所のおばあちゃんたちの畑仕事の姿、主婦が多くなってきたスーパー、仲良い友達と楽しく帰る中学生、黄昏時に黄昏る気分、仕事終わった達成感とお店が営業中の状態、このまま飲み会。

夜には賑やかな居酒屋、しっとりした音楽が合う、落ち着いた雰囲気のニュース、ドキュメンタリー番組を見れちゃう余裕、話したいことをゆっくり話し合える時間。

そんな普通が欲しくて

夜勤はもうこりごりだ。

 

一度ドロップアウトした人生を人並みに戻すには大層な時間と精神と努力が必要だった

一つ一つ始めてずっと続けれていたら、挫けずに最後までできていたらこんな思いもならなかったし知らなかったんだろうな

高校生は通信制

制服姿の高校生は見ることが嫌だったくらい眩しかった。

大学の中退は色々な絶望感と自由が入り混じってた。

近場のサービス業で働きだして、周りは車での出勤だったな。

劣等感をなくすために免許とって車買うまで働いたのはよかった。

正社員にそのままなってもよかったかもしれない。

けどこの会社でなることが悔しくて、下克上の日々を決めて今のところへ来たのはよかった。

よかったんだけどな。

素敵な人も多いけど、もう昼間に働きたく思います。

お金も十分蓄えた。

次の目標も達成間際。

気持ちが弱くなっているのが身に染みる。

元気なくなったなと。

どこで働き続けるかは自分で選ぶ

今までも自分で選んだこと

ドロップアウトなんてただの言葉で

人生はまだ続くし

続けてきてしまったし、

その選択も、それまでの選択も自分で選んだ挫折

どーなるかわからんけど

元気ない割には楽しくなってきそうな気持ち

どこかで踏ん張らないと

それをどこでするか

続けるのはどこでするか

僕はまだ諦めたくない

下克上とは決めたくない

だからちゃんとした場所

自分が選択した場所

自分が欲しかった場所に行くために決めた

転職する

苦労と楽は財布の中身で分かるそうだ

ニュースの記事を読んでたら、記事が無数にあること、カテゴリー化されてたり、注目されてる記事のランキング欄とかありました。

 

普通のことだけど、この無数の記事の一つ一つには一人一人の人生の少しの部分が載ってたり、人生が大きく変動するきっかけの内容だったり、その当事者にとっては自分では計り知れない大事なことばかりの記事を自分は暇だからと言って、読みたいニュースないかなと右手の親指でスクロールしながら選抜してる自分を考えたら、ちょっと怖くなったりもした。

 

ツイッターでもニュースの記事でも、もしかしたらものすごい想いでタイムラインにツイートしてる方もいたり、収益を上げろと言われてゴシップ記事を適当に作ってる方がいたり、知らない想いが僕の画面には写っていたのかなと思う。

 

妄想なんだけど。

 

ここ最近は転職活動をしようかと考えていたりする自分がいて、悩んで悩んでの繰り返し。

その悩みとか話したいこと、伝えたいこと、聞いてほしいことがたくさんある中で、話したい人がいることが僕には当たり前ではないから嬉しくなった。

話したい人がいるのはすごいことかもしれない。心が少しあったかくなった。

 

 

自分のためにやる

昨日自分は腹が立って仕事中感情的になってキレた。

未熟だったし、いつものようにスルーしておけばよかったことだった。

 

自分の会社だけだと思いたいところだけど

働くことを真面目にやれば他の人が楽をできるシステムがある。

その楽をした人を見てまた楽をする人が増える。

大変なのは仕事ができる人である。

仕事ができる人でもそんな周りを見てしまうと馬鹿らしくもなる。

おかしいって声を出しても、コンプライアンスが邪魔をして損をするのは常にこっちだ。

評価が上がったところでなにが変わるかはより大変な仕事とクソみたいな働かない人の世話なのだ。

 

いかに楽をして稼ぐかはきっと仕事ができませんと言ってコンプライアンスで守ってもらって雇用してもらうことなのだ。

 

別にいいよ、

そんな人相手にしてたらキリがない。

そんな人見てても結局そっち側になってしまう。

自分のために働く。

仕事ができるようになりたいから挑戦する。

働くことが馬鹿みたいに思えても、自分のために、自分が困らないように働く。

それでいい。

 

そう思いながら働いてた。

けど、積もり積もって些細なことでキレた。

ほんと未熟だった。

けど自分は責めない。鬱になるから。

悶々と一人で考え込まない。

気心知れた先輩と話せばスッキリする。

 

正しいことを正しいと言ってはダメだとか

間違いを間違いと言えばコンプラだとかどうとか

こんなことをおかしいと言っても変わらない会社がおかしいんだって言ったところで、結局変わらない。

真面目な人たちが今までこれで何人辞めてったか…

だからクソみたいな人たちが残ってるんだろう。

馬鹿らしい。

文句は出るし、言ったらキリがないし、言っても変わらないし、改善提案しながら話しても変わらない。

手は尽くした、こっちはもうこりごりだ。

けどそれでも仕事は常にある

明日も明後日も多分平常だろう。

落とし所はない

腑に落ちないまま

腹が立ったまま仕事はできない

けど仕事がある

初心に戻ろう。

自分のために働こう

人がどうのこうの言わない、見ない、聞かない、気にしない。

自分が困らないために働こう。

そっちはそっちで。

 

簡単に人をクビにはできないでしょう。

そもそもそんな話まで持っていかないでしょう。

その人の人生を考えてあげるんでしょう。

そして僕らがまた犠牲になってくんでしょう。

それでいいよ、

僕もそうする。

誰かが犠牲にならないってことはない。

けど、そういう考え方の集まった会社だもの。

自分のために働きます。

ほんとのほんと

温泉に浸かってる時に見えた、自分の左腕のリストカットの傷跡。

かれこれ7年前の傷跡を熱い湯に浸かりながら「まだ消えない」なと思った。

 

ふとした瞬間に思い出す、

自分はこういう人間だった。

こんな過去があった奴だった。

 

けど今はどうだ。

ほぼ違うじゃないか…

なのに忘れたように、

別人のように生きやがって。

けどまあいいか。

全部自分だし、ちゃんと今までもこれからも自分だよ。

 

そんな思考がふとした瞬間に出てくる。

今回はたまたま温泉の時だった。

 

不登校

引きこもり

対人恐怖症

鬱病統合失調症

リストカット

オーバードーズ

通信制高校

希死念慮

自殺未遂

 

そんな10代を過ごした

辛かったこと、苦しかったこと、

単語にしたらこういった言葉。

 

けどそればかりの人生ではなかったからこうして生きていたりもして。

野球も6年続けてた

音楽もかれこれ9年ぐらいやった

不登校児だった奴が通信制入った瞬間、バイトを3年続けた

こんな書き方をすると、自分でやったみたいに見えるけど、ほとんどは周りにいてくれた人たち、出会った人たちのおかげ。

 

今でも思う。

社会人になって残業や休日出勤が多くて時間もなくハードな日々を続けれるのは、職場で一緒に働く人たちの些細な会話や行動で元気をもらう。

 

一人は好き。

好きだけど、一人では到底ここまで来れることもなく、こんなクソみたいな社会を一緒に生きてる人たちの些細な優しさが何度も自分を救ってもらってる。

 

自分も誰かを元気に出来るような人になりたいと思う。